有馬氏二十万石の城。
久留米城
所在地
別名
福岡県久留米市篠山町
:篠原城
築城者
築城年
:未詳
:不明


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■近世久留米城

 近世において久留米藩の政庁となった久留米城の築城については、未だ詳らかになっていないところも多いようですが、古くは在地領主によって築かれた砦程度のものが存在していたようです。篠原城と呼ばれる城でした。
 豊臣秀吉による九州平定が終わった頃、この地に封じられた毛利秀包が近世城郭の基礎を築いたのが、現在見られる城跡のはじまりです。さらには、柳川城に封じられていた時期の田中氏が、支城として久留米城を整備し、この時点で近世城郭としての概形が完成を見ました。この田中氏は無嗣断絶し、後に入ったのが有馬豊氏です。島原の旧領主とは別系統の摂津有馬氏の流れで、現在的感覚で言えば有馬温泉の有馬というと通りが良いでしょうか。それはさておき、田中氏の旧領は有馬氏と立花氏との分け取りとなりました。久留米城は、有馬氏の居城として明治維新を迎えました。

■篠山神社

 久留米城は筑後川を天然の堀とする城でした。篠原城の古名から、本来はどちらかと言えば低平な場所に築かれた城だったのかとも思えますが、現地の解説板によると、微高地は天然の地形のようです。現在残る遺構としての高石垣がその歴史を物語り、同時に訪れる者の目を引く城跡です。
 久留米城は、元来天守を持たない城でありながら、城内には複数の櫓が存在していました。建物の多くは明治時代に解体されており、現在の城跡には城郭建築と言える物はありません。建物としては篠山神社が建立されており、辛うじて残る水堀によって区画された現在の城内は、実質的にこの神社の社域となっているようですが、往時の縄張りはこれよりは広く、都市化の進んだ周辺街区にまでまたがっていました。

(2014年08月09日 初掲)









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