土佐山内二十四万石の城。
高知城
所在地
別名
高知県高知市丸ノ内1丁目
:大高坂(おおたかさか)城
築城者
築城年
:山内一豊
:慶長8年(1603)


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■天嶮だったのかもしれないけれど…

 「内助の功」で有名な山内一豊の城として知られる高知城は、思いのほか歴史の古い城で、南北朝の頃にはこの地に城を構え、そこに居城した者がいることが分かっています。土地の豪族である大高坂山松王丸がその人です。二人の天皇が相争った動乱期、南朝方に属していた松王丸は、延元3年(1338)には後醍醐天皇の第七皇子に当たる満良親王を迎え、細川禅定・佐伯経貞らと戦っています。しかし興国2年(1341)に落城、松王丸は死に、城はそのまま廃城となりました。
 そうして長らくの間誰からもかえりみられることがなくなっていたであろうこの城に、再び目を向けるものが現われたのは、南北朝の動乱期から2世紀以上もの月日が流れた天正の頃のことでした。土佐に興って四国統一を成し遂げた長宗我部元親は、圧倒的な勢力を誇る豊臣秀吉の前に敗れたものの、事実上の本拠地であった土佐一国については安堵されました。元親は新たな土佐統治の体制を作り上げるために、大高坂山松王丸以来のこの城に目をつけたのです。
 しかし、元親の目論見はやがて頓挫してしまいます。城の近くを流れる鏡川・江の口川の治水がうまくいかなかったのです。結局元親はこの地を放棄し、太平洋に面した浦戸に自身の居城を打建てることになりました。高知城一帯は元来、敵を引き受けるための詰の城としてはともかく、居住性には恵まれていなかったのかもしれません。
 

■山内氏による城造り・街造り

 後に言うところの高知城が、近世城郭としての体裁を整えたのは、慶長5年(1600)に勃発した関ヶ原の戦い後、山内一豊が二十四万石で入封してからのことです。それ以前のこの地にあったのは、せいぜい砦レベルの簡素な建造物だったのでしょう。一豊の関ヶ原での「功名」は、妻である見性院の卓見によるものだったなどとも言われており、一豊が築いた高知城には、現在では一豊本人の像と共に夫人の銅像も立てられています。
 工事が始まったのは慶長6年の9月のこと。総奉行の百々(どど)安行を筆頭にして行われた工事は、文字通り日に夜を継いで行われ、動員された作業員の数は毎日1200人以上。10歳以下の子供も工事に参加したと言われています。一方、土佐国内は長宗我部氏の旧臣である「一両具足」たちの不満がくすぶる政情不安の状態で、その一部は旧主の浦戸城に立てこもって抵抗を続けるまでになっており、彼らの襲撃に対して警戒を続けながらの緊迫した工事でもありました。
 一豊以下、山内家臣団の苦労の甲斐もあってか、慶長8年には本丸と二の丸が完成しました。この本丸は、一豊がかつて封じられていた掛川城を模したものだったと言われています。また、水害に悩まされる状態はいまだ続いていたものの、城下町の整備もどうにか軌道に乗りつつありました。長宗我部氏が成しえなかった大高坂造営の夢を山内氏が果たしたのは、建築に関するノウハウを蓄積し続けてきた織豊系大名と外様大名の技術力の差の現われでもあったのかもしれません。
 

■大高坂山から高知へ

 慶長8年(1603)8月21日、一豊はまだ完成したばかりの真新しい城へと入りました。大高坂山は、真如寺の僧在川によって河中(かちゅう)山と改名されました。本来は「二つの川の間にある山」ほどの意味だったのですが、前述の通りこの城の周囲が慢性的な水害に悩まされ続けたことから、「河中」という文字が嫌われ、慶長15年には竹林寺の僧空鏡が新たに「高智山」と改名しました。この高智山の地名から、後の高知城という名が生まれました。
 一豊は、慶長10年(1605)9月20日に亡くなっています。土佐に入ってから5年足らず、高知城が一応の形になってからは2年ほどが経った時期のことでした。しかし、高知城の建設は一豊の死後、二代藩主忠義の治世になってからも続けられました。三の丸は慶長16年に完成しています。
 現在も残る高知城の天守は、後年火災に遭ってからの改修工事を経たものです。ここからは、歴代藩主たちが築き育て上げてきた高知の町並みを一望できます。高知の街は南に浦戸湾が迫り、西と北は山によって隔てられた盆地のようなところに開けています。果てなく広大な太平洋を望み壮大な夢を描いた坂本竜馬のイメージと、生産性の低い土地で半農半武士の質素な生活に耐えてきたという一両具足たちの対照的な生き様が連想されます。時代の流れに抗おうとした一両具足たちの墓標になった浦戸城の痕跡は、太平洋へと通じる浦戸湾の入り口、ちょうど坂本竜馬の像も立っている桂浜のあたりに残されています。
 

(2008年03月01日 初掲)



























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