世にも稀な低地の穴城。
小諸城
所在地
別名
長野県小諸市丁
:酔月城
築城者
築城年
:大井光忠
:文明19年/長享元年(1487)


お城スコープ > お城総覧 > 小諸城

■小諸なる古城

 島崎藤村が「小諸なる古城のほとり」と詠んだ古城が、この小諸城です。現在は懐古園として知られている場所に、小諸城はありました。
 小諸城は千曲川の流れによって形成された河岸段丘の上に建っています。小諸市も含め、佐久市から上田市に至るあたりの地域はかなり起伏にとんだ地形をしていますが、特に小諸城は千曲川沿いの断崖に面して建っていて、要害堅固を地で行くような城です。
 この城は、もともと長享元(1487)年に大井光忠が築いた鍋蓋城が前身となっています。天文22(1553)年に武田信玄によって陥落させられると、以降は武田氏の小県攻略の橋頭堡として整備されました。このとき城の改修を担当したのが、馬場信房と山本勘助であると伝えられています。一般的に戦国の城は、周囲よりも高い場所に築かれる山城や平山城といった形態が主流ですが、小諸城は、周囲よりも低い場所に建っていて、「穴城」と呼ばれています。
 武田氏が滅亡して後、この城は織田氏、北条氏、徳川氏と様々な主の下を転々としていますが、後に小田原攻めで功のあった千石秀久が入封されています。このときにかなり大規模な改修が行なわれ、小諸城は近世的な城となりました。
 

■独特の穴城構造

 小諸城で特徴的なのは、やはり穴城と呼ばれる独特の形態でしょう。小諸城周辺の地形はと言うと、南側は千曲川に面した断崖絶壁、東西も深い谷間となっていて、北側だけが周囲の土地と地続きになっています。これらの天然地形に囲まれた城の本丸が、北側の城下町等と比べて低地となっているわけです。現在、懐古園にはJR小海線の小諸駅付近と地下通路などでつながっていますが、この方向からやってくると、この城の中が周囲より少し低くなっていることが実感できます。
 このあたりの地形は、浅間山の火山灰によって形成されていることもあり、比較的もろい地質のようです。そして少し意外なのですが、かなり時代が下るまで城内に井戸はなかったようで、兵糧攻めには意外と弱かったのかもしれません。幸い、小諸城が大きな戦の舞台になったことはないようです。
 なお、「穴城」とはあくまでも通称であり、正式な城郭形態分類に従うと、小諸城は平山城ということになります。
 

■懐古園として

 お城ファンにとっては「小諸城址」なのですが、一般にはやはり懐古園という名前の方が通りが良いのでしょうか。現在この敷地内には、藤村記念館や郷土博物館など比較的堅めな施設から、動物園のような子供向けのスポットまであります。侮るなかれこの動物園、ライオンまでいるのだからかなり本格的なものです。私は最初から動物園はパスしたので、小動物に触れる広場程度のものなのかと思っていました。
 懐古園は桜の名所として知られており、花の頃に訪れるとかなり多くの人出があるのではないかと思います。オフシーズンだと、名前が売れている割には人出が少ないような気がします。熱心な藤村ファンなどは、花見シーズンを避けていった方がかえって堪能できるのではないでしょうか。

(2008年03月01日 初掲)















戻る
TOP