秀吉対家康。頂上決戦の舞台となった城。
小牧城
所在地
別名
愛知県小牧市堀の内一丁目
:小牧山城
築城者
築城年
:織田信長
:永禄3年(1560)


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■濃尾平野の山城

 永禄3年(1560)、織田信長は桶狭間で今川義元を破りました。その結果として三河で松平元信(後の徳川家康)が独立し、信長と元信との間で同盟関係が成立します。この清洲同盟によって東方からの当面の脅威が無くなったことで、信長の対美濃斎藤氏戦が本格化していきます。
 そうした状況下で美濃攻略のための前線基地として、信長の新たな居城となるべく建設されたのが小牧城でした。それまでの居城清洲城よりも若干美濃よりの立地でしょうか。それ以上に、ひたすら平坦地が広がる広大な濃尾平野の中で、新城を建設するに相応しい土地がここ以外になかったのでしょう。標高85.9mの高さしかない小牧山は、現在では小牧市民のハイキングコースになっていますが、それでも攻めるに難く守るに易い山城(平山城)を築城し得る数少ない場所だったのです。
 それより後の時代になると、築城技術の発達に伴って次第に平地にも堅城を築く事ができるようになるのですが、信長の小牧築城当時は自然が作り上げた地形をうまく加工することで、堅固な城塞にするしかありませんでした。
 こうして、おそらく色々な苦労や紆余曲折があって工事の開始された小牧城ですが、実際には信長がここに腰を落ち着けることが無かったため、後の岐阜城や安土城のような大きな発展はありませんでした。
 

■頂上決戦の舞台に

 小牧長久手合戦は、秀吉と家康の、最初にして最後の戦でした。一般に「城攻めの秀吉、野戦の家康「などと言われることがありますが、この合戦における比較的大きな動きと言えば、幾度かの野戦ばかりでした。言ってみれば戦いは終始家康のフィールドで展開していったわけです。家康は自分の得意分野で、その戦上手振りを遺憾なく発揮し、すでに天下を掌握しかかっていた秀吉の大軍勢を向こうに回して、互角の戦いをくり広げました。
 そして結局、この戦いでは決定的な決着がつけられず、秀吉は外交的な手段で家康を臣従させることとなりました。しかし、このため家康は秀吉臣下の大名の中でも、心情的には別格の存在となっていたようです。そのことが後々の天下の趨勢に与えた影響は決して小さくないでしょう。
 小牧城はそのターニングポイントとなった場所であり、城の内部で展示されている諸々の資料から、いろいろな要素の積み重ねで作られていく歴史の不思議に思いを寄せてみたりしました。
 

■市民憩いの山

 城そのものは、小牧「山」の上に建っているとは言え、左中段の写真(小牧山の南側=名古屋市方向を写したもの)からも分かるとおり、小高い丘程度の高さしかない「独立峰」なので、山城とは違います。厳密には平山城という奴でしょうか。ハイキング・ピクニック感覚で登るのにちょうど良い程度の山です。
 小牧山は名神高速道路の小牧IC近くにあります。右の写真は、小牧城の本丸から北側を写した写真です。小さいながらも高架道路が写ってますが、これが名神高速道路です。高速道路走行中に南側を見ていれば、それらしい建物を見ることができると思います。
 小牧城内部はちょっとした資料館になっており、小牧長久手合戦にまつわる資料などが展示されています。一応有料。
 

(2008年03月01日 初掲)























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