北条早雲野望の城。
興国寺城
所在地
別名
静岡県沼津市根古屋
:杜若城など
築城者
築城年
:今川氏?
:文明19年(1487)頃


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■今川の居候

 戦国武将・北条早雲の一般的知名度はいかほどのものなのでしょうか。さすがに織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下人3人には及ばないでしょう。武田信玄、上杉謙信あたりにもちょっと届かないような気がします。個人的には伊達政宗と同等か、それよりもやや下あたりに位置づけられるような気がします。それでも有名な部類に入る人物である事は疑う余地がありません。私は日本史を取ったことがないので良くわからないのですが、歴史教科書的には下克上の戦国時代のさきがけとなった人物として、「陣取りゲーム」でそこそこがんばっただけの信玄・謙信などよりも重要なのでしょうか。
 早雲の場合、その名前とともに「前半生は何をしていた人なのか良くわからない」という情報も良く知られています。大体「北条早雲」という名前からして彼が生前から名乗った名ではなく、性格の悪いマニア相手にこの名前を出すと、まずそこに突っかかって来られるでしょう。正しくは伊勢盛時(長氏)あるいは宗瑞などと言いますが、ここでは「早雲」で通します。
 小田原城の項でも書いたとおり、最近ではその正体は備中国(岡山県)高越城主・伊勢盛定の次男坊であるとする説が有力になっており、それなりに由緒のある家柄の人だったようです。早雲の妹は今川義忠の正室(北川殿)となっていました。「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と言われた名門に嫁したのだから実家の格もそれなりなのでした。早雲は応仁の乱の頃から妹を頼ってその駿河の今川家に居候していたようです。
 戦いの混乱で仕官先を失ったようでもありますが、どういった経緯で妹の嫁ぎ先の食客になったのか詳しくはわかりません。
 

■居候先で家督相続争いに遭遇する

 文明8年(1469)、今川家の当主であり早雲の妹婿であった義忠が遠江で戦死すると、今川家では義忠の跡目をめぐる争いが発生しました。早雲は義忠と北川殿の子・龍王丸(後の今川氏親)こそが後継者に相応しいとしつつも、龍王丸がいまだ年少であった事を理由に、対立関係にあった義忠の従兄弟・小鹿範満を龍王丸成人までの家督代行者とすることで争いを収めました。
 ところが範満とその一派は龍王丸が成長しても家督を返そうとしなかったため、早雲は氏親(龍王丸)派の代表者の一人として範満以下反対派を討伐し、その功に報いる形でここ興国寺城とその周辺に所領を与えられました。つまりその頃にはすでに城(もしくは少なくとも砦程度のもの)が存在していた事になりますが、築城年代については不明です。
 興国寺城は伊豆半島の根元を押さえると同時に、関東への入り口となる地点に位置しています。氏親に恩を売った早雲は、背後の安全を名門の当主となった甥に守らせつつ、関東へと押し出していく事ができる体勢を造る事に成功しました。こうして早雲は、その後数年間は興国寺城で爪を研ぎながら伊豆以東に進出していく機会を待つ事になります。
 

■史跡公園として整備中

 実を言うと興国寺城址訪問は「早雲旗揚げの城」という点にだけ注目してのものだったのですが、実際の現地は想像以上に城跡らしさを保っていたので少々驚きました。2006年8月時点では史跡公園とするべく整備が進んでいるようですが、竣工すればかなりそれらしく見えるようになるのではないかと思います。
 元々は三方を天然の湿地によって守られ、その内に本丸・二の丸・三の丸を備える縄張りの城でしたが、現在では水堀の類は残されていません。代わりにその跡はかなり深く広い空堀の体になっています。本丸の北側にはかなり高い土塁が築かれて壁のようになっており、この土塁には石垣と天守台跡の礎石が残されています。早雲は後年になって伊豆の韮山城に本拠地を移していますが、その後も興国寺城の重要性を理解して更なる改修を加えていたと考えられ、本丸と二の丸と三の丸が南北に連なる形の縄張りはその頃には完成されていたようです。周辺地形から察するに、現在保存されているのは本丸と二の丸のみでしょう。
 興国寺城は後に再び今川氏の治めるところとなり、今川義元によって更に改修が加えられたようですが、再度北条氏によって奪取され、その後は武田氏、武田氏の滅亡後は徳川氏、徳川家康の関東移封後は中村一氏の家臣・河毛重次、関ヶ原後は三河三奉行の一人「どちへんなし」の天野康景という具合に次々と城主が代わり、元和の一国一城令で廃城となりました。前述した堀のさらに外側には平坦な北曲輪の跡なども残されていますが、いつの時代にどのように改修されていったのかを正確に把握するのはなかなか難しいようです。
 ちなみに「興国寺」の名はいかにも早雲の故事にちなんだもののように思えますが、そういうわけでもなさそうです。
 

(2008年03月01日 初掲)





















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