黒田氏による六端城の一つ。
小石原城
所在地
別名
福岡県朝倉郡東峰村大字小石原
:松尾城
築城者
築城年
:秋月氏?
:不明


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■秋月氏の城から黒田六端城へ

 小石原城をどのようにして見初めたのかは、ほとんど記憶にありません。この記事を書いている時点から1年と遡ることはないと思いますが、それでこの調子なので、よほど唐突で予想外の出会い方をしたのでしょう。何となく、歴史物のムック本の類を読んでいて見つけたものだったように記憶しています。
 戦国時代の小石原城は、秋月氏系の城であり、宝珠山山城守が居したと考えられています。しかし、どちらかと言えば、近世九州の有力大名として根をおろした黒田氏が、いわゆる六端城として整備した城としての方が名高いでしょう。多分、そういった背景がある中、九州各地に点在する城の一つとして簡単に取り上げられただけのものだったのでしょうが、何となく気になってその名をネットで検索してみたところ、保存状態の良い城跡らしいと分かって、現地を訪ねることにしたところからは覚えています。

■混交する二つの築城術

 ルーツを辿れば秋月氏の支城だった小石原城ですが、ここに黒田氏が持っていた織豊系の築城術が投入され、面目を改めたものと思われます。藩政期初期の大名が、領国護持のため家臣の中間統胤に守らせた城であることから、規模はかなり小規模、縄張りも単純ながら、割合に技巧的な、成熟期の築城術のエッセンスが織り込まれたものだと見ることができます。六端城全体を俯瞰すると、領国内の南東部の防備を厚くするために築かれたものと言えそうですが、小石原城は、そうした中でも豊前国との国境に近い一城です。ただ、黒田氏によって使用された期間は短く、元和の一国一城令によりその役割を終えました。
 山と言うよりは小丘上に築かれた城の跡を歩いてみると、やはり規模自体はかなり小さな印象です。縄張りだけなら砦と大差ない程で、主郭から全容を把握できるほどでしかないのですが、そのわりに土木技術や設計思想は先進的なのが面白いところで、攻め手に対し執拗に襲い掛かるであろう横矢の存在が印象的です。
 遺構としては、中世山城の名残である畝上竪堀や堀切が見られる一方で、黒田氏による土木工事の産物であると思われる礎石建物跡や石垣が残存し、櫓台や虎口なども見られます。

(2013年11月10日 初掲)

















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