島津氏の侵攻に気を吐いた平山城
杵築城
所在地
別名
大分県杵築市大字杵築
:臥牛城など
築城者
築城年
:木付頼直
:明徳5年/応永元年(1394)


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■台地上の城

 杵築城は応永元年(1394)に木付頼直によって築かれたのが最初だとされています。国東半島の南に位置し、八坂川の河口付近に築かれた城は、守江湾、そしてその先の別府湾、伊予灘と、海を見下ろす平山城でした。北には高山川も流れ、陸続きの西側以外は天然の堀として機能したものと思われます。天正15年(1593)には、木村氏の主筋・大友氏の領土を猛然と蚕食する島津氏の侵攻を受けていますが、小城ながら良く持ちこたえています。一方その頃、秀吉の後ろ盾を得た大友氏の命脈も首の皮一枚でつながりましたが、その後はかつてのように奮うこともなく、結局は大名家としては滅亡の道をたどりました。
 杵築城は大友氏以後の30年余りにわたって小倉藩領となり、10年余りの小笠原氏時代を経て、正保2年(1645)に松平氏が封じられました。この松平氏の統治は、明治維新まで続きました。
 杵築城跡は城山公園として整備されており、その一画には天守閣もありますが、もともとの天守閣は江戸時代初頭に失われており、典型的な模擬天守です。昭和築城のこの模擬天守は、この時期に再建された城らしく、資料館となっています。現地を訪ねたのが早朝時間帯だったことから、建物の中に入れないのは覚悟していたところ、主郭への入口に位置する門さえも堅く閉ざされていたため、天守に近づくことすらできませんでした。とは言え、前述のとおり城跡は台地上に位置しているため、模擬天守を遠望すること自体はいつでも可能です。

■城下町杵築

 杵築市としては、城そのものもさることながら、その城下町の売込みに熱心なようです。この城下町部分はいくらか今風で、古い趣のある建物群と言うには少々まぶしいところもあります。
 杵築の名物料理として知られる鯛茶漬け「うれしの」は、杵築城の殿様が、これを食して「うれしいのう」とのたまったのが始まりとも言われています。うそかまことか定かではありませんが、そんな話も真実味を持って聞こえる、どこか緩やかに時が流れるような雰囲気のある城下町です。
 なお、この城下町については、現地では日本唯一のサンドイッチ型城下町である、と言うことが謳われています。サンドイッチと城下町と言う単語の取り合わせに、なんとなく不調和を感じないでもないですが、要するに「二つの台地の上部に、城下町の名残としての武家屋敷が存在している」と言うことのようです。高台に武士階級の住居が固められ、城に通じる道がその両の高所から見下ろされる形となっているのは、城下町そのものを一つの軍事拠点と見なす考えの顕著な表れとして興味深いところです。

(2014年05月23日 初掲)















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