紀州路を抑える城。
岸和田城
所在地
別名
大阪府岸和田市岸城町
:千亀利城
築城者
築城年
:未詳
:不明


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■岸和田古城

 だんじり祭りの町として知られる岸和田市には、一名を「千亀利城」と呼ばれた岸和田城がありました。現在は鉄筋コンクリート製の天守閣が再建され、その存在感を見せつけていますが、その起源については詳らかでない部分も残されています。
 もともと岸和田には、現在では「岸和田古城」と呼ばれている城がありました。南北朝時代の城でしたが、こちらは現在の岸和田城とは直接的なつながりがなく、場所も南海電鉄岸和田駅の南側に位置し、今となっては住宅地の中に埋没しています。
 実質的に、これに代わる城と言える近世岸和田城の萌芽が見られるようになったのは、永禄年間とも元亀年間とも言われていますが、史上において重要な意味を持つようになったのは、羽柴秀吉による紀州征伐の時期のことで、城を巡る確かな記録は、概ねこの時期から始まっていると言って良いでしょう。

■拡張整備の歴史

 爾来この地は、紀州街道を押さえる要地としてその重要性が確認され、それに伴い城の整備も進められました。慶長2年(1597)には小出秀政により五層と言われる天守閣が築かれ、大坂冬の陣後には松平康重によって城下町が整えられ、岡部宣勝の時になると、破却された伏見城の建造物の一部が移築されて面目を施しました。以後は岡部氏の居城として江戸時代を生き抜き、明治維新を迎え、廃城となっています。
 なお、創建時の天守閣は文政10年(1827)に落雷が原因で焼亡しており、以後は再建されませんでした。現在の天守閣は昭和29年(1954)に再建されたものですが、内部はもちろん外観も藩政期の復元ではありません。古絵図に見られるのとは異なる佇まいを見せています。

(2010年04月25日 初掲)

















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