中世屈指の一大山上城郭。
観音寺城
所在地
別名
滋賀県近江八幡市安土町石寺
:なし
築城者
築城年
:六角氏?
:不明


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■名門六角氏の大城塞

 観音寺城は、近江守護佐々木六角氏の居城でした。かなり古いお城で、いつからあったのかははっきりしませんが、建武2(1335)年の段階には、すでにこの地に城があったようです。その後、時を経るにつれて、城があった標高400mあまりの繖(きぬがさ)山の城砦化が進められ、戦国中期頃にほぼ完成形となったようです。
 城の中枢部にあたる本丸、池田丸、平井丸は尾根筋に、それ以外の大小さまざまな曲輪山腹に築かれ、かなり大規模な山城でした。発掘調査の結果や、古い資料などを総合すると、まさに全山をもって観音寺城というひとつの要塞と成していた感があり、日本五大山城の名に恥じません。
 

■信長の上洛に遭い…

 これだけの大城郭でありながら、観音寺城はその底力を見せ付ける絶好のチャンスを逸してしまったような感があります。というのも、六角氏にとって最大の敵(ある意味では青天の霹靂だったのかもしれませんが)となったであろう織田信長上洛の際、その途上に位置していた、時の当主・六角義治はこの一大城郭にこもって信長との激闘を演じることもなく、逃亡という選択肢を選んでいるのです。
 義治はその後、甲斐の武田信玄のところに身を寄せ、武田氏滅亡後まで生き延びています。一方、主によって打ち捨てられた観音寺城はその後、織田氏の支城となり、安土城が完成後にはその出城という感じで位置付けられました。本能寺の変が勃発し、それに伴って安土城が焼失すると、ついに観音寺城も使われることがなくなりました。
 

■観音寺城見て歩き

 一応ハイキングコースとなっているルートのようですが、延々続く石段の途中には、何箇所か倒木があり、ある程度覚悟を決めて進むべき道のりです。この石段そのものがすでに城の遺構なのですが、それ以外となると、本丸近くまで進まなければ見るべきものはありません。本丸付近には、縄張り図を見ると蒲生氏をはじめとする重心の邸宅や大小さまざまなたくさんの曲輪が存在していたことがわかりますが、安土城ほど整備されているわけではないので、パッと見の訴求力的なものは少し弱いかもしれません。よくよく見るとあちこちに石垣がある、といった感じです。ただ、この石垣というのがかなり古いもので、観音寺城築城と同時代の城にはまだ石垣はあまり一般的なものではなかったようですから、当時としては最先端の建築技術が用いられた城だったのでしょう。最終的にはフェードアウトする形となったこの城の末路も考えると、一時代の最先端城郭も40年ほどで型落ちとなった、といったところでしょうか。
 なお、桑実寺経由で本丸を目指すルートは、お寺の敷地を通ることになるため、「拝観料」300円が必要です。お寺では本堂が公開されていて、十二神将などの仏像も見応えがあります。
 

(2008年03月01日 初掲)















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