屈強の守りを誇った関東の山城。
金山城
所在地
別名
群馬県太田市金山町
:なし
築城者
築城年
:岩松家純
:文明年間(1469〜1487)


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■新田氏のふるさと

 群馬県太田市は、清和源氏の流れを汲む名族・新田氏発祥の地として知られ、同時に江戸幕府を開いた徳川氏の祖とされた得川氏の本貫地でもあります。この得川氏もまた新田氏の傍流であり、太田近傍を移動していると、街の其処此処に新田氏にゆかりの史跡を見かけます。
 町の郊外、金山の山頂部に展開された山城・金山城も、新田氏の一族によって築かれた城だと考えられています。一説には新田義貞によって築かれたとも言われますが、資料的裏づけには欠ける伝承のようで、岩松氏による築城とされる場合が一般的です。
 現在のところ15世紀中葉に築かれたと推定されている金山城は、その後の関東騒乱の歴史の中にしばしばその名が見られるようになります。

■籠城幾度

 現在に残された城跡の規模はともかく、歴代の城主である岩松氏・横瀬氏・由良氏は必ずしも実力ある大名と言うわけではありませんでしたが、その戦歴には華々しいものがあります。
 戦国末の関東では、小田原北条氏と上杉憲政から関東管領の職を受け継いだ上杉謙信との戦いが頻発するようになりますが、金山城もその係争の舞台となりました。北関東のこの地は、両氏の勢力がせめぎ合う地域であったため、城主はその時々に優勢であった勢力に従属せざるを得ず、そのため金山城も、時には北条方から、時には上杉方から攻勢を受けることになりましたが、かの謙信をしてもこの城を落城せしめることは出来ず、天正12年(1584)の金山合戦においては、対陣一ヶ月の末ついに北条氏の攻撃を退けています。
 これらの籠城戦の記録からは、その難攻不落ぶりがうかがえますが、城は短期の籠城に強みを見せたものの、列強の狭間で独立を保ち続けることは難しく、由良氏の時に北条氏に従属せざるを得なくなり、豊臣秀吉の小田原征伐に巻き込まれる形となります。さしもの堅城も天下人の軍勢には敵しえず、落城後、廃城となりました。

■大規模山城の遺構

 金山城へ山麓から徒歩で登ろうとすると、なかなか歯ごたえのある山登りになります。そんなところからも城の守りの堅さを実感できますが、日本百名城の一つに選定されていることもあってか、車で訪問する人のことも考えて整備が進められているようで、もちろん気軽な城攻めも可能です。
 主郭部は発掘調査に基づいて石垣、堀切などが復元されています。異質なのが石垣で、関東地方の戦国山城の中にあっては特に目を引くほどの規模を備えており、見所と言えば見所なのですが、どうも近代以降になって史実に基づかず積み上げられた箇所があるようで、無心に感嘆できないのが残念なところ。山頂部に新田神社が建立されているため、それとの絡みもあって模擬復元(?)されているのかもしれません。

(2010年09月25日 初掲)























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