福島正則が築いた支城。
亀居城
所在地
別名
広島県大竹市小方
:なし
築城者
築城年
:福島正則
:慶長13年(1608)


お城スコープ > お城総覧 > 亀居城

■三年で廃城

 広島の戦国大名とくれば何と言っても毛利元就で、近隣の城跡も毛利氏ゆかりのところが多いのですが、ここ亀居城は、毛利輝元の後を受けて広島入りした福島正則が築いた支城の一つで、生粋の近世城郭跡ということになります。
 領国を防長二カ国に削られたとは言え、外様の雄藩として武名を誇った毛利氏は、安芸の隣国領主として健在で、正則の毛利氏に対する警戒心もかなり強いものがあったと思われます。慶長13年(1608)に完成した亀居城について、資料は決して多くないものの、現地の解説板によると、平山城の特徴を備えた城内に、本丸・二の丸・三の丸・有の丸・なしの丸・松の丸・名古屋丸・捨の丸といった主郭郡を備え、さらにそれを補助するいくつかの曲輪も有していたとされています。加えて、瀬戸内海や新町川を天然の堀としているという念の入り様でした。
 これほど重武装の城だった亀居城ですが、大名が領国内に城を建てて軍備を整えることを良しとしなかった幕府の方針もあり、五年を経ずして取り壊されたと言うことです。

■亀居城の石垣

 小高い丘の上の公園として、その痕跡が残る亀居城跡には、今も石垣が存在していました。ただし、現地の状況から鑑みるに、史跡公園として整備されたとは言いがたい雰囲気があり、全般に城跡としての来歴に関する説明は乏しい物であるといわざるを得ません。非常に短命だったため、語るべきトピックも多くないのかもしれません。
 現地で目を引くのは何と言っても石垣ですが、これも昔からそのまま残っている物にしては綺麗過ぎ、むしろ本丸周辺を中心に、かなりの部分が現代の土木業者によって積み直されているような印象です。後年、広島城の無断修築が命取りとなって改易された福島氏ですが、幕府の目をはばかって廃城とした手前、廃城の際には徹底的に破却されたのかもしれません。どちらかと言うと、下の曲輪へと降りていく未整備園路のような状態の通路脇に、多くの石がごろごろと転がっている状況のほうが、いかにも城跡らしいと言えるでしょう。なお、亀居城跡の石垣に残された刻印には、同じく正則が築いた広島城のそれと共通する物が多く見られるということです。
 現在の亀居公園は、瀬戸内海とそこに浮かぶ厳島・江田島を展望する風光明媚の地となっています。

(2013年06月10日 初掲)









戻る
TOP