埋蔵金伝説。地中深くに眠るという伝説の城。
帰雲城
所在地
別名
岐阜県大野郡白川村保木脇
:返雲城
築城者
築城年
:内ヶ島氏?
:不明


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■山津波に消えた城

 岐阜県岐阜市と富山県高岡市を結ぶ国道156号線の途中、岐阜県大野郡白川村保木脇地区の沿道に、道行くドライバーの目を引く「帰雲城埋没地」の看板があります。
 「帰雲」の読み方は、諸説あります。周囲の山々に雲がはね返るような地形をしている事から「かえりくも」(史料によっては「返雲城」としているものも)だと言われていたり、杜甫の「返照」と言う詩の一節にある「帰雲」から取った名前だから「きうん」なのだ、とか言われています。ここでは一応、「返雲」の字もあてられていることに鑑みて、「かえりくも」としておきます。
 帰雲城は白川村一帯に勢力を張っていたという土豪、内ヶ島氏の居城であったと伝えられています。伝承によると内ヶ島氏は、1585年に行なわれた豊臣秀吉旗下の武将・金森長近の飛騨征伐に際し、戦わずしてこれに恭順の意を示しました。しかし、会談を終え、居城である帰雲城に戻ったまさにその時、中部から近畿にかけての地方を大地震が襲いました。この巨大地震の際、この地にあった帰雲山が大崩落を起こし、その山麓にあった帰雲城と三百軒あまりの城下町を一瞬のうちに飲み込んでしまったと伝えられています。現地を訪ねたとき目に付く正面奥の山の巨大な崩落跡は、その時のものだと考えられています。そして、この崩落跡から帰雲城の所在地が推測され、現在帰雲城址の碑が建てられています。

■埋蔵金伝説

 内ヶ島氏は金山経営によって巨万の富をたくわえていたとも言い、それがため、山津波によって地中深くに沈んだ帰雲城には、埋蔵金伝説も残されています。もっとも、埋蔵金の有無も、帰雲城の所在地も、そればかりか「帰雲城」という城が存在したか否かさえも、全ては史実と伝説の境界付近を危うくさまよっていると言うのが実情です。
 過去にはこの辺り一帯の土地を買い取り、金属探知機を使ってローラー作戦よろしく埋蔵金のありかを探った人もいたようですが、結局何も見つけられなかったということです。もっとも、実際に金が見つかっていれば何らかの記録には残るのでしょうが。
 現実に内ヶ島氏が莫大な軍資金を用意していたとしても、豊臣政権に恭順して命脈を保つ考えをもっていたならば、それをいつ使うつもりだったのか少し疑問です。1585年と言えば、秀吉が天下を完全に掌握するのはもはや時間の問題となりつつあった時期です。せっかく貯め込んだ軍資金を、今このときに使わなければ、秀吉の天下はいよいよ磐石となって反攻など思いもよらない状況となり、莫大な軍資金は埋蔵ならぬ死蔵となっていた可能性が高いのではないか。そんなことを思いました。
 

■伝説の城

 現在帰雲城址に立っている観音像は、帰雲山の崩落によって命を奪われた内ヶ島家中の人々、そしてそれに数倍するであろう城下の人々の慰霊のために建立された鎮魂の像だとか。観音像の台座に使われている石は、崩落箇所の地中から発掘された物とのこと。確かに自然の石にしては随分形が整っていて、人工物のように見えなくもないもので、帰雲城の存在は決して夢幻ではないのかもしれないという気分になりました。
 城が実在していたのか、埋蔵金はあったのか。山津波はそんな疑問の答えもろとも、この地に暮らしていた人々を飲み込んでしまいました。現在まで確かに残っているのは、ただ伝承のみ。
 もしかすると、真実は、永遠に明らかにならないのかもしれませんが、それで良いような気もします。

(2008年03月01日 初掲)





















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