東海道・宿場の城。
伊勢亀山城
所在地
別名
三重県亀山市本丸町
:粉蝶城
築城者
築城年
:岡本良勝
:天正18年(1590)


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■安土桃山期・終盤の城

 亀山城はもともと、天正18(1590)年にこの地にあった岡本良勝よって築城されました。その後、代々の城主が城に改築を加えて整備されていきましたが、寛永9年(1632)年に天守閣が解体されたようです。その代わり、空き地となった天守台に多聞櫓が建築されました。そして明治になって、建物の大部分が破却されました。
 平成の現在、現存する多聞櫓とそれを支える天守台以外の多くの遺構は失われています。城の縄張りの大半は亀山西小学校および中学校の敷地となりました。しかしその一方で発掘調査も進められており、亀山西小の北側に二の丸御殿と帯曲輪を結んだと考えられる埋門(うずみもん)の跡が復原されています。亀山城で最も有名な遺構である櫓の残る高石垣は、天守台の南面にあたるようです。この石垣は加工を加えていない天然の石を積み上げたもので、高さは15m近くありますが、石垣の上側には手すりがありません。風の強い時などは縁に立つことを尻込みしてしまいそうなほどの高さです。
 亀山城のある亀山の市街地は傾斜地になっており、特に城址周辺は舌状台地の先端部に当たるため、この高石垣からはかなり遠くまで見渡す事が出来ます。

■二つの亀山城

 亀山城は三重県亀山市街にあります。亀山城の名を持つ城は丹波にもう一つあったのですが、伊勢の亀山城と紛らわしいと言うことで、亀岡城と改名した経緯があります。丹波の城の方が古いのですが、明智光秀の居城だった後ろ暗い過去があったために(?)後発の城に名前を取られてしまったのでしょうか。
 紛らわしいだけなら良かったのですが、寛永9年(1632)には、同じ名前の城が二つあったため、笑うに笑えない事件が発生しました。伊勢亀山城の天守が、丹波亀山城の天守と間違えられ、幕府の命を受けた堀尾吉晴によって取り壊されてしまったというのです。それ以来、伊勢亀山城の天守が再建される事はありませんでした。
 

■東海道・宿場の城

 建築時期からも分かるように、亀山城を戦国の城と呼ぶのは不適切でしょう。むしろ近世城郭と呼ぶべき城です。実際に亀山城が存続した時期は江戸時代とほぼ一致しますが、亀山城に入る領主はたびたび変わっています。亀山城跡にある亀山市教育委員会による解説によると、ここ亀山が東海道の要衝にあったために江戸時代前半に幾度も領主の交代があったとの事。ここを拠点にして幕府に対して敵対的な勢力が育つ事を懸念したのでしょうか。
 宿場町でもあった亀山の町は、安藤広重が描いた東海道五十三次・亀山宿にも描かれており、遠景には亀山城の姿も見えます。雪の日の坂道、画面の奥の方に描かれた亀山城は、今も昔も変わらない切り立った高い石垣の上に建っていました。
 

(2008年03月01日 初掲)















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