長州藩への抑えを担った城。
浜田城
所在地
別名
島根県浜田市殿町
:亀山城
築城者
築城年
:古田重治
:元和5年(1619)


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■長州藩との因縁

 浜田城は古田重治が築いた近世城郭です。よく知られる古田織部重然の同族ながら、重治の系統は重然ほど華々しい活躍を見せることはなかったようです。けれど堅実に功を重ね、元和5年(1619)には、関ケ原の戦いの勲功をもって石見国浜田に封じられたとされています。つまるところ、浜田城はその時に築かれた浜田藩の城ということになります。
 浜田藩は10万石に満たない藩だったため、決して大きな城ではありませんでしたが、それでも譜代や親藩が封じられることは多くありました。落魄したとは言っても、外様の雄である毛利氏の長州藩に近い城だったため、これをけん制する意味で重要視されたものと言われています。実際、幕末期の第二次長州征伐では戦場となっており、この際には城にこもっていた幕府方の兵自らが城に火をかけ、大村益次郎率いる長州軍に制圧されたということです。

■海を見下ろす城

 城は浜田市街の中でも海に近い小山の上に築かれました。天険というほどではないにせよ、守るに易い平山城といったところでしょう。この丘陵上からは日本海を間近に見下ろすことができ、現地でも解説されている通り、外ノ浦の港と呼ばれる風待ち港を扼するような場所でもあります。戦時の備えと経済の掌握と、その両方を睨んでこの地が選ばれたものと思われます。もともと天守相当の三重櫓が築かれていたのだそうですが、現在はそれらの建築物はことごとく残されていません。ただ、山上主郭部周辺には現在も石垣が残されていて、往時の姿を一部とどめています。
 近年、浜田城は続日本100名城に選定されましたが、これが百名城かと言われると、正直なところやや小ぶりという印象は受けます当初の100名城はチョイスがマニアックでしたが、続100名城に至って全国津々浦々からまんべんなく、比較的安易にそれとわかる遺構が残る城を中心に集める方針に変わったのかもしれません。

(2020年03月05日 初掲)









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