北条氏による関東最大規模の山城。
八王子城
所在地
別名
東京都八王子市元八王子町3丁目
:なし
築城者
築城年
:北条氏照
:天正年間(1573〜1592)


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■北条氏の山城

 東京都の西端に位置する八王子城は、関東を代表する山城として知られています。山城があまり発達しなかった関東地方にあっては珍しく広大な規模を誇る城として、何より首都の近郊にある山城として、今日も史家やお城ファンの注目を集め続けるこのお城は、小田原北条氏の属城です。天正年間の終わり頃、北条氏康の三男・氏照によって築かれました。八王子城の北東にあった滝山城が、甲斐(現在の山梨県)の武田信玄による攻撃に晒され、一時は落城寸前のところまで追い詰められたことに危機感を覚えた北条氏が、より要害堅固な拠点を求めた結果として生まれたもののようです。
 現在的な感覚で言えば、八王子は国道20号線(甲州街道)、JR中央線、中央自動車道の途上に位置する東京から山梨への入り口であり、甲斐の武田と事を構えることになった北条氏がこの地の防御を等閑視していたのは意外とも思えます。何しろ私が八王子城に関心を抱くようになった直接のきっかけが、山梨県大月市にあった武田一門衆小山田氏の岩殿山城を見た足で東京に向かう途中、八王子と岩殿山の距離がかなり近接していることを知ったからに他なりません。
 もっとも、甲州街道自体は江戸時代になって整備されたものですから、それ以前の時代にはこのルートが戦時の進軍路に用いられると言う感覚が希薄だったのでしょう。武田氏による関東進出と言えば、まず西上野(群馬県西部)方面に対してであり、信濃佐久地方から碓氷峠を越えて北条領へと肉薄するパターンが想定されていたのでしょうから、八王子築城が、北条氏による対武田氏戦略の点からは後手に回った感があるのもいたし方の無いところかもしれません。

■落城

 こうして築かれた城は、八王子城の名で呼ばれるようになりました。守護神として本丸に八王子神社を建立したためで、現在に通じる八王子と言う地名は、実のところ城の名前によると言われています。城は、一説に安土城を模したとも伝えられています。
 当初こそ甲斐郡内方面から侵攻してくる敵勢=武田軍への備えとして構想された八王子城でしたが、城の完成時期は武田氏の滅亡の後年だと考えられており、武田軍との戦闘は経験していないことになります。この城が大きな戦の舞台となったのは、小田原北条氏最後の戦いとなった、天正18年(1590)の小田原役の時のことでした。と言うより、来るべき豊臣秀吉の軍勢との決戦を前にして整備が進められたと言っても良いのかもしれません。
 開戦の火蓋が切って落とされると、八王子城は、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らが参加した一万五千の北国軍の攻撃に曝されることになりました。豊臣軍の攻撃は苛烈を極め、6月23日、城は一日にして落城しました。八王子城に限らず、小田原役に臨んで北条方の諸城がいともあっさりと落城して行ったのは、主力部隊が本城・小田原城に集められていたためだと考えられています。八王子城主となっていた氏照は北条家中でも随一の名将でしたが、彼も配下の兵四千を引き連れて小田原城に入城しており、主不在となった城には城代横地監物が置かれ、とにかく頭数を揃えるために近隣の住民が老若男女問わずかき集められているといった有様だったようです。
 八王子城は、北条氏滅亡後にその遺領を引き継いだ徳川家康により廃城とされました。

■山麓遺構と山頂曲輪

 多くの場合、山城は辺鄙な山奥にあってアクセスが難しいものなのですが、八王子城はさすがに東京都内ということもあり、JR高尾駅で電車を降り、路線バスに乗り換えるだけでスムーズにたどり着くことができます。もちろん、電車・バスとも本数は多くあります。
 バスを降りて八王子霊園の南を通り過ぎると、道路沿いの林の奥にまず北条氏照の墓があります。八王子城を出て小田原城に篭っていた氏照は、戦後他の多くの北条首脳陣と同様に切腹して果てました。まず彼の墓を詣でてから先を目指すと、山麓部にいくつかの曲輪跡が残されています。中でも御主殿と呼ばれる一画は発掘調査を元に整備されており、古道沿いに歩いていくと、往時に近い雰囲気が再現されているのが見えて来ます。枡形虎口周りの復元状況には少々疑問を抱く部分がないでもありませんが。なお、御主殿の奥に御主殿の滝と呼ばれる滝があり、落城の際に篭城軍の女性が身を投げたという痛ましくも凄惨な言い伝えが残っています。一部で心霊スポットとして知られる八王子城の噂は、地元の人が持っていた城への土俗的な信仰と、こうした言い伝えとが結託して生まれたもののような気がします。山麓部にはこの他にアシダ曲輪と呼ばれる郭もあります。残念ながら、八王子地方に土砂災害をもたらした豪雨の直後に訪城したためか、山麓曲輪のあちこちが崩落していたためこのエリアについては未訪箇所が多く残されました。
 本丸などは、標高446mの城山山頂付近にあります。八王子城は、甲信や中国地方の険阻な山城に比べればはるかに登りやすく、ハイキング気分で山頂まで登ることができるでしょう。ただし、見た目に分かりやすく整備された山麓部の遺構と違い、山頂を目指す道中にあるのは削平跡など、やや地味な遺構が中心です。また、城跡とは直接関係のない石碑などもいくつかあり、何本かの登山ルートがもつれ合うようにして山頂を目指すので、地理不案内だとやや心細くなるかもしれません。
 本丸は八王子神社の裏手にあります。登り口はともすれば見落としてしまいそうなほど地味なので、ちょっと注意して探してみる必要があります。全般に、要害区画の整備状況は山麓部よりも見劣りがすると言わざるを得ません。

(2008年09月14日 初掲)









































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