朝鮮出兵の前進基地となった城。
名護屋城
所在地
別名
佐賀県唐津市鎮西町名護屋
:名護屋御旅館
築城者
築城年
:豊臣秀吉
:天正19年(1591)


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■朝鮮出兵

 天正18年(1590)。豊臣秀吉は小田原北条氏を下し、日本国内の統一は果たされました。このことにより、戦乱とは無縁な太平の世が始まるかと思われましたが、次に秀吉は明の征服を夢想するようになりました。その前段階として行われたのが、朝鮮出兵(文禄・慶長の役)です。玄界灘に面する唐津市鎮西にその名残をとどめる名護屋城は、朝鮮役に際して国内最前線基地となるべく築かれた城です。と言ってもそれは野戦築城といったようなものではなく、当時秀吉の居城だった大坂城に比肩するほどの規模と豪壮さを持った、天下人の居所となるべく築かれた城でした。城地は元々、松浦党の頭領である波多氏の一族、その名も名護屋氏の居城垣副城があった場所です。
 秀吉がこの狂気じみた企てを実行に移した理由についてはいろいろと推測されていますが、豊臣政権の総帥である秀吉と臣下に当たる大名達は、伝統的武家社会の主従関係、すなはち父祖から続く「御恩と奉公」の関係によって結びついていたわけではなく、秀吉が与える恩賞によってつなぎとめられる打算的な関係であることを秀吉自身が知っていたため、恩賞として与える土地が国内になくなる事に危機感を抱いた秀吉が、新たな知行を海外に求めて起こした侵略戦争だったなどと言われています。この説に従えば、強大な権力を誇ったかのようにも見える豊臣氏も、その内実は極めて自転車操業的に運営される組織だったことが垣間見えます。
 

■侵略戦争の終焉

 さて、文禄元年(1592年)に始まった文禄の役では、毛利輝元や小早川隆景といった有力大名の他、加藤清正、福島正則、小西行長ら秀吉子飼いの武将たちが渡海しています。開戦当初の日本軍は破竹の勢いで朝鮮半島各地を制圧していきました。長らく続いた国内の戦乱により、日本軍の武具や戦術、兵士個々の戦闘能力はかなりの水準にまで進歩していた一方、李氏朝鮮軍は元寇の頃から大して変わっていない古色蒼然とした武装で、戦闘に不慣れな将兵達が迎撃に当たったため、両軍の戦力差が歴然と現れたと言われています。さらに朝鮮国内は、政治権力争いに端を発してまとまりを欠いてもいました。
 やがて朝鮮軍の指揮官として李舜臣が立ち、海戦において日本軍を悩ませるようになりますが、戦局は次第と膠着状態になり、日朝間で休戦協定が結ばれ、文禄の役は終了します。しかしその講和条件が日本軍有利の戦局を受けた日本優位の内容だと思い違いをしていた秀吉は、明・朝鮮から提示された内容の実態を知るとこれに対して激怒、慶長2年(1597)には再度朝鮮半島への出兵を行います。これが慶長の役です。慶長の役における日本軍は、参戦各将の折り合いの悪さから精彩を欠き、文禄の役の時ほどの戦果を上げることはありませんでした。一方で両軍の厭戦ムードは次第に高まっていき、明くる慶長3年に秀吉が死去したのを潮に、休戦期間を挟みながら足掛け6年に渡った朝鮮出兵は終わりを告げました。
 

■太閤の御旅館

 朝鮮出兵は朝鮮半島を舞台に行われたものでしたから、いかにゆかりの城とは言っても名護屋城それ自体が戦場となる事はありませんでした。この城はむしろ前述の通り、総大将である秀吉の居所になると共に、国内にとどまった大名達を慰めるために築かれた城という印象の方が強いです。郭としては本丸、二の丸、三の丸、山里曲輪などを持ち、本丸には五重の天守が築かれました。城内には秀吉の自慢であった黄金の茶室が持ち込まれていたと伝わり、大名達を招いて茶会などが開かれたとも言われています。築城の思想としては、大坂城、あるいは伏見城・聚楽第を九州のこの地に再現しようとする意図があったように思われてなりません。
 名護屋城の築城工事は、加藤清正をはじめ九州の大名を動員して行われ、8ヶ月に満たない短期間で完成したとされています。明の征服という秀吉の老耄とも言える野望のために築かれたこの城は、秀吉が死に、朝鮮半島への出兵そのものが無意味なものになったのと同時に、その短い役割を終えました。後年この地を治めることになった寺沢広高は、名護屋城の遺材を用いて自身の居城唐津城を築きました。
 現在名護屋城跡には石垣や空堀、大手門跡、天守台跡などが残されています。櫓などの建造物は現存しませんが、残された遺構からはこの城がかなりの規模を誇っていたことが分かるでしょう。城跡に隣接して建てられている名護屋城博物館では朝鮮出兵に関する展示をはじめ、唐津や九州北部の歴史を知る事ができます。入場無料。また、城跡の周囲には朝鮮役に参加した大名の陣所跡が多数散在しています。
 

(2008年03月01日 初掲)





















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