日本最古の木造再建天主を持つ城。
郡上八幡城
所在地
別名
岐阜県郡上市八幡町柳町
:積翠城
築城者
築城年
:遠藤盛数
:永禄2年(1559)


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■沿革

 郡上八幡の街を見下ろす高台の上に、郡上八幡城は建っています。
 この城は、1559年にこの地の領主であった遠藤氏によって築かれました。この地では、遠藤氏をはじめ周辺地の小領主同士の勢力争いが長く続いていたようで、そのような状況下にあって築城された城だったわけですが、やがて遠藤氏は信長の旗下に参じ、歴史の表舞台に姿を現すようになります。しかし遠藤氏は、信長の死後、秀吉によって処刑された信長の次男・織田信孝に通じていたためにそれを理由に転封され、代わって稲葉一鉄の子、稲葉貞通が郡上八幡城に入城しました。そしてそのとき、郡上八幡城は大きく改修されたようです。
 その後、関ケ原の合戦の際に、旧城主遠藤氏が八幡城を攻撃し、徳川方に加勢した功によって再び八幡城主に復帰しました。江戸時代になると遠藤氏は断絶し、それ以降幾たびか城主が変わりましたが、19代目の城主、青山氏の代に明治維新を迎えています。
 現在の天守の昭和8年に再建されたものが基礎となり、その後改修が行なわれた物です。この天守は比較的珍しい木造で、郡上八幡城は木造再建天守としては日本最古のものです。
 

■美濃の小領主たち

 幸か不幸か私の地元は、比較的早い段階で大名と呼べるほどの大勢力が台頭してきた地域であり、織田氏対今川氏、徳川氏対武田氏の係争地帯となったため、独立小勢力同士の争いがどのようなものであったかについては、あまり詳しくありません。郡上八幡城、そして帰雲城跡を見るにつけ、小領主達には小領主達の戦いがあったのを再認識しました。
 歴史教科書で取り上げられることは未来永劫無いのかもしれませんが、多くの戦国大名たちも、彼らと同様にそのような幾多の戦いを勝ち抜いて成り上がっていった者たちです。一般に戦国時代と言うと、大大名の大軍同士が激突する大合戦のイメージが強いのかもしれませんが、そのような大きな歴史の流ればかりに注目していると、無風状態のようにさえ思えてしまう周縁地域でも、戦国時代はやはり戦国時代だったわけです。
 日本各地で戦いに明け暮れる日々。あらためて考えてみると、やはり色々な意味ですごい時代です。
 

■史実と伝説と

 郡上八幡城には、いくつかの謎やミステリーが隠されています。築城の時の人柱にされた娘・およしにまつわる数々の怪談。毒殺を疑われる代々の当主の怪死。宝暦郡上一揆で取り潰された金森氏も、そういう目で見れば、なにやら因縁めいたものに押しつぶされたという風に取れなくもありません。
 ただ、目下のところ一番大きな注目を集めそうな謎は、「山内一豊の妻の出自」でしょうか。一昔前まで、彼女は若宮友興の娘で近江の出身とするのが定説となっていましたが、実はこれがあまり確たる証拠もないまま人口に膾炙していた説だったようで、代わって八幡城主だった遠藤盛数の娘だったのではないかとする説が台頭してきたわけです。その説をダメ押しするかのごとく、郡上八幡には「山内一豊と妻の像」が立っています。
 どちらが正しいと迂闊には断定できませんが、2006年のNHK大河ドラマの主役こそが、他ならぬ一豊の妻。ドラマのスタートまでに、郡上八幡城はどのような攻勢をかけてきますやら。
 

(2008年03月01日 初掲)















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