諏訪の一族・藤沢氏の居城。
福与城
所在地
別名
長野県上伊那郡箕輪町大字福与
:箕輪城
築城者
築城年
:藤沢氏?
:不明


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■小笠原長時の義弟

 福与城は、長野県伊那郡箕輪町にあった山城です。城の来歴は詳らかではありませんが、諏訪氏の一族だった藤沢頼親が居城していました。天文11年(1542)には甲斐の武田晴信(後の信玄)によって陥れられています。攻め手の将となっていたのは、武田氏研究の史料「高白斎記」の著者としての印象が強い駒井高白斎でした。
 頼親は、信濃攻略を志した時期に信玄の宿敵となった信濃守護・小笠原長時と義兄弟の関係にあり、そのため、長時と信玄の間で緊張が高まる度、幾度となく武田氏から離反しました。そして、その度に許されて帰参していますが、皮肉なことに、武田氏滅亡から間もない本能寺の変直後、信濃に侵攻した徳川家康の軍勢に攻め殺されたと伝えられています。

■箕輪の戦国遺構

 山城とは言うものの、そんなに山深いところにあるわけではなく、むしろ平山城に近い形態なのかもしれません。伊那谷に残る武田氏系城郭の多くがそうであるように、往時から里を見下ろす程度の場所だっただろう、高台上に築かれていたものと思われます。現在の状況を見ると、畑などが少なからず城地にまで食い込んでいそうではありますが、堀や曲輪跡を中心に、一目見てそれとわかる遺構は保存されています。
 残念なのは、盛夏の訪問となってしまっただけに、曲輪跡には軒並み草が生い茂っていた点でしょうか。古い縄張りを辿るには、やや明瞭さを欠くところはあったのですが、それでも土塁や削平地形、堀切程度は見て取ることができ、まずまず掘り出し物の城跡だったと言えます。

(2016年06月07日 初掲)

















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