徳川将軍家十五代の居城。
江戸城
所在地
別名
東京都千代田区千代田
:皇居千代田城
築城者
築城年
:大田道灌
:康正2年(1456)


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■家康と江戸城

 江戸城はもともと、康正2年(1456)に大田道灌によって築かれた城でした。この頃は、土塁と簡素な居館がある程度の小さな城だったようです。
 天正18(1590)年に、豊臣秀吉が小田原北条氏を下して天下統一がなると、徳川家康はそれまで領有していた甲信駿遠三の五ヶ国から北条氏の旧領に移るように命じられました。
 家康は当初、天下の堅城と謳われた小田原城に入るつもりでしたが、秀吉の指示で江戸を新たな拠点とする事になります。当時の江戸は城も質素なら、周辺に広がるのも寒村だったと言われています。反面、国内に類を見ないほど広大な関東平野に目をつけた家康によって、城も含めた大規模な街づくりが開始されました。秀吉の死後、慶長3年(1603)の江戸開府を経ていよいよ、将軍の執政所たるにふさわしい城へと整備されていったようです。
 櫓などの建物は現在も残っていますが、白眉は城の象徴である五重天守でした。これは、明暦3年(1657)の大火で焼失してからは、二度と再建されませんでした。現在に残るのは、天守台の石積みだけです。
 

■天下人の城

 織田信長は、天下人にふさわしい古今に類を見ない城として安土城を造営し、信長の跡を受け継いで天下人となった豊臣秀吉は、主君の城を越える巨城・大坂城を築き上げました。そして、その豊臣氏を倒し、長く将軍家として君臨した徳川家康以下、徳川氏の城が江戸城です。
 生前の秀吉に対して臣下の立場にあった家康は、秀吉の死後、自身が征夷大将軍の任について名実共に天下人となると、もともとはかなり質素な城だった江戸城を、大坂城すらも凌駕する天下人の城へと作り変えていきました。そして、天下人となった徳川氏の城を超える規模を供えた城を作る大名は、ついに現れませんでした。いたずらに壮麗な城を建築する事は幕府に目を付けられる事には他ならず、家の取り潰しの口実を与えるだけだったためです。野心家として知られる伊達政宗ですら、文字通り自身の夢の城である仙台城には、「幕府をはばかって」という触れ込みで天守閣を築きませんでした。
 日本の城郭建築は、「巨大城郭」という量的な面においても、また質的な面においても、江戸城をもって一つの頂点に上り詰めたといって良いでしょう。
 

■皇居として生きる

 江戸城は現在、言うまでもなく皇居となっています。場所柄その全てを見ることは出来ませんが、都市空間に残る城郭建築を、堀に沿って眺めていくのも面白いものです。
 東京の一等地ですから、皇居の周りには官公庁を始め、たくさんのオフィスビルが建ち並んでいます。高層階からはお城の内情までが見て取れそうです。家康や彼の跡を継いだ秀忠・家光としても、見た目の威容はもちろん戦時拠点としての機能を周到すぎるほど周到に考えて江戸城の縄張りを行ったのでしょうが、さすがに平成江戸城を巡るこの状況までは考えていなかったでしょう。
 それだけに天守が失われていることが残念です。近代建築の向こうを張る五重天守を見てみたかった。

(2008年03月01日 初掲)















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