「百姓の持ちたる国」の武士城。
大聖寺城
所在地
別名
石川県加賀市大聖寺錦町
:錦城
築城者
築城年
:狩野氏
:13世紀


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■「百姓の持ちたる国」の真実は?

 石川県加賀市にある大聖寺城址です。加賀市の名が端的に物語るように、この地は近世以前には加賀国と呼ばれていました。日本史における加賀国といえば、熾烈を極めた一向一揆によってあまりにも有名です。
 長享2年(1488)、加賀の守護大名であった富樫政親は一向一揆と戦い、自身の居城・高尾城(石川県金沢市)に攻め滅ぼされました。その少し前の文明3年(1471)、北陸地方では浄土真宗(一向宗)の中興の祖・蓮如によって吉崎御坊が建立されており、信者たちが吉崎を目指して全国から集まってくるようになっていました。このような中で一向門徒たちの勢力は大きなうねりとなって加賀一国を席巻しつつあり、当初は彼らを政治利用していた政親もその動向に強い警戒を抱くようになります。そしてその警戒が急進的に過ぎたのか、門徒たちの爆発的反発を買ったのでした。
 教科書的には、「政親が倒れたことで加賀は守護不在の国となり、以後織田信長による統治が始まるまでの100年近くは『百姓の持ちたる国』となった」と説明されることになるでしょう。厳密に言えば、長享の一揆以後も加賀国の政治体制が農民たちによる自治となる事は無く、おざなりながら政親に代わる富樫氏の守護も立てられていたようです。そしてその富樫氏をほぼ傀儡化していたのが本願寺であり、加賀の門徒たちを直接的に支配していたのが本願寺から派遣されてきた坊官でした。この坊官たちは武士はだしの為政者であり、戦場においては一軍の指揮官ともなりました。一向一揆が単なる農民一揆と違って武士の支配を脅かし得る勢力となった秘密は、彼等の指導力にあったと言えるでしょう。
 支配される者としての農民の地位は一揆の前後で何も変わらなかったというわけです。
 

■加賀一向一揆と戦った朝倉氏、織田氏

 とにもかくにも一国の守護が一揆によって攻め滅ぼされたのは同時代の武士たちにとっては衝撃的な事実だったことでしょう。特に加賀と境を接する越前国(現在の福井県)を支配していた朝倉氏にとってはまさに死活問題だったはずです。真宗が盛んな北陸であるだけに明日は我が身ともなりかねません。そもそも吉崎御坊は越前国内に存在しているのです。現実に、永正3年(1506)には加賀能登越中そして越前の一向一揆と浪人が連合した三十万とも言われる未曾有の大軍が越前国内へと侵攻して来ています。
 このときは朝倉家中でも名将の誉れ高い朝倉宗滴がわずか一万の軍勢で一揆勢の攻撃をしのぎきりますが、朝倉氏が越前を支配していく上で加賀方面から侵入してくる一揆勢に対する備えは必要不可欠のものとなります。前出の宗滴も後には吉崎御坊とは指呼の距離にあるここ大聖寺城を拠点に加賀の一向一揆と対決しています。
 朝倉氏はやがて織田信長によって攻め滅ぼされますが、南北朝時代以来のこの城は織田氏が加賀へと進出する際の橋頭堡としても利用されます。そして加賀の国情がどうにか安定した頃に本能寺の変が勃発し、城の帰属も柴田勝家陣営から羽柴秀吉陣営へ転々としますが、現在に残る遺構が形作られたのは天正11年(1583)に溝口秀勝が四万四千石でこの城に入った時のことのようです。
 

■加賀百万石の支藩として

 大聖寺城が加賀百万石の主・前田氏の支配下に置かれたのは関が原の合戦以後のことでした。時の前田家当主・前田利長は関が原の決戦場に参上することはありませんでしたが、この天下分け目の決戦は各地に波及しており、文字通り当時の日本を二分する争いとなっていました。ここ加賀国でも徳川方に味方した前田家の他に、豊臣方に与する勢力が存在しました。当時の大聖寺城主・山口玄蕃は豊臣方すなわち西軍に属しており、利長は大聖寺城にこれを攻め、この城を手中に収めています。
 もっとも、その後の大聖寺城の寿命は短く、元和元年(1615)の一国一城令によって廃城とされたようです。その後は長らく一般人の出入が禁止され、そのため現在でも豊かな自然環境と共に城郭建築の遺構もかなり良好な状態で保存されているとのこと。私の訪問時にはあまり時間が無かったのでつぶさに観察とは行きませんでしたが、曲輪跡程度は残されています。ほかに目を引いたのは明治期の「パトロン事件」の舞台となった贋金つくりの洞穴でしょうか。
 以下余談。現地解説板によると地名の由来となった大聖寺とは、「古代から中世にかけて栄えた白山五院の一つ」であるとのこと。また、加賀市では毎年「十万石まつり」という祭りが開催されますが、金沢市で「百万石まつり」という祭りが行われることを考えると大聖寺周辺は加賀百万石の十分の一程度の生産力を担っていたということなんでしょうか。
 

(2008年03月01日 初掲)





















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