竹中半兵衛の本城。
菩提山城
所在地
別名
岐阜県不破郡垂井町岩手
:岩手山城
築城者
築城年
:竹中重元
:永禄2年(1559)


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■数多い遺構

 智謀の武将として知られた竹中半兵衛重治は、もともと美濃西部に根拠地を持つ領主でした。菩提山城は重治の父の時に築かれた城だと伝えられており、竹中氏の居城として、若き日の重治もこの城に暮らしたと考えられています。別項で豊臣恩顧の大名が小身時代を過ごした城をまとめて紹介しており、菩提山城もそちらで扱うことを考えましたが、山城跡としてはかなり規模が大きいので、独立項目として取り上げることにします。
 菩提山城は標高400mあまりの菩提山山頂付近に築かれていました。登山口はいくつかあるものの、いずれにせよ比高で約300mを登ることになります。山頂付近に残る遺構の保存状態は存外に良く、縄張り図によれば、比較的規模の大きなものだけで十近い曲輪が存在していたようです。空堀、竪堀などの痕跡も容易に見つけられます。
 ただ、わりと近年になって、主郭付近に生えていた木を大々的に伐採した形跡があり、これによって山麓の展望を得ています。と同時に、本曲輪に幟旗がはためき、マイナーながらに観光地化の目論見もあるようです。恐らくは、大河ドラマ「軍師官兵衛」にひっかけた取り組みだったのでしょうが、切り口もまだ新しい夥しい数の切株を目の当たりにすると、少し複雑な気分になるところです。

■竹中氏の所領

 菩提山城は、重治の子・重門の代まで使われ、その後に廃城となりました。竹中氏の子孫は、大名とはならず、旗本格に留まりましたが、菩提山城に代わって菩提山の山麓に築かれた陣屋は、岩手城の異称もある比較的規模の大きなもので、現在も櫓門や石垣などの遺構が部分的に残されています。
 その他、菩提山城への登山口の一つがある禅幢寺は重元・重治と父子の墓所があり、この地と竹中氏のゆかりの深さを今に伝える史跡となっています。なお、禅幢寺から菩提山城跡へと登る道が、かつての大手道の名残のようです。一般には当地で竹中氏の史跡と言うと陣屋やお寺の方が主となるのかもしれません。

(2017年03月09日 初掲)

















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