富士を見晴らす街道の城。
足柄城
所在地
別名
静岡県駿東郡小山町竹之下
:霞城
築城者
築城年
:北条氏
:16世紀


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■悠久の天地

 そもそも私が足柄城を訪ねてみたのは、その展望の良さに関する評判のよさを聞きつけてのことに他なりません。城地は金太郎伝説で知られる金時山にも連なる、箱根外輪山の一鞍部・足柄峠に位置しており、富士山を遮るものとてなく真正面に捕らえることの出来る、雄大な展望を堪能できる場所となっています。
 現在の城跡は、城址碑が立ち一面に芝生が敷き詰められるなど、ちょっとした公園のようです。平坦な地形はかつての土木工事の痕跡でしょうし、主郭部付近では堀の跡なども確認できますが、全般に峠の県道を行くドライバーの息抜きの場といった色彩の濃い整備状況となっています。近隣には足柄の関跡や足柄山聖天堂などもあり、それらが一体となって史跡公園の体をなしていると見るべきでしょうか。

■街道と城

 現在の足柄城址主郭部直下を通る道も、前述の通りれっきとした県道ですが、古代にはこの付近を東海道が通っていたこともあるということです。東海道は、平安時代初頭に、富士山噴火の影響があったため、現在良く知られる箱根を通るコースに付け替えられました。それでも古来この場所が交通の要衝・軍事上の重要地点であったことには変わりがなく、平安期以降、陣城のようなものが築かれたことも、幾度かあったと見られています。
 特に小田原北条氏が関東地方に権勢を振るうようになるに連れ、駿河以西からの敵勢力の侵攻に備えて、本格的城砦の体を備えていったと考えられています。県道は概ね古くからの街道筋をなぞる形で建設されたものらしく、同じく北条氏が箱根の峠に築いた山中城と同様、足柄城の縄張りは街道筋を抱え込む形になっていて、この城が正しく街道を扼する城であることを物語っているかのようです。
 ただし、北条氏が自身の存亡をかけた豊臣秀吉の決戦に臨んでは、足柄城は戦いの舞台となることもなく放棄され、そのまま廃城となりました。今川氏・武田氏といった近在の有力大名の小田原侵攻を拒むには有効な城だったのかもしれませんが、元より街道を封鎖することを主眼とし、要害堅固の地に築かれていたわけではなかったため、あまりにも数の多すぎる天下人の軍勢を防げる城ではなかったのでしょう。
 なお、私は麓の足柄駅から県道伝いに峠まで登ったクチですが、いにしえの街道・足柄古道も人が歩けるように整備されており、ここを歩くハイカーもいるようです。

(2011年03月27日 初掲)















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