土佐の国人領主・本山氏の城。
朝倉城
所在地
別名
高知県高知市朝倉
:重松城
築城者
築城年
:本山茂宗
:永禄6年(1563)


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■長宗我部氏の宿敵

 朝倉城は、後に土佐一国を制することになる長宗我部氏の宿敵だった本山氏の城です。本山氏はもともと、四国山地の只中を支配する領主でしたが、戦国時代にその威勢は奮い、高知平野にまで張り出してくるほどになりました。そして必然的に、この地を治めていた長宗我部氏と衝突するようになります。
 当時の土佐国は、戦国大名化していた一条氏の影響力が強大ながら、絶対的なものではなかったこともあり、群雄の割拠する地となっていました。長宗我部氏と本山氏の勢力は伯仲しており、本山氏は一時期、高知平野に拠点を築いて長宗我部氏を脅かすまでになりました。その拠点となった城が朝倉城というわけです。城跡は、現在の高知大学の西側にそびえる山に築かれていました。ただ、後の歴史が物語るとおり、やがて長宗我部氏は四国全土を席巻することになるため、それに先立って本山氏は朝倉城を放棄しています。

■評価の難しい山城跡

 朝倉城への道はいくつかありますが、そのうち高知大学横の県道沿いから続く道が最も分かりやすいため、登城時にはこのルートを使いました。山城のイメージに反し、高台に上っても意外と宅地化が進んでいる印象ですが、どうもそれら住宅地の一画も含め、かつては城地の一部だったことを思わせる地形をしています。そんなに多くはない案内どおりに進むと、やがて宅地は途切れ、小さな畑の営まれる一画に差し掛かりますが、そのあたりもかつての城跡なのだと思われます。やがて、完全に樹林帯の中に入ると、空堀や切通しと思しき地形が姿を現しますが、この辺りまで来ると確実に城郭の遺構だとして良いでしょう。
 朝倉城は、高知県下有数規模の山城遺構だということですが、如何せん、まったく手付かずで残されたままの部分というのはそんなに多くないようで、程なく広場状に整備された主郭に出ます。ここまで来ると、明らかに後年に土木工事が行われていることがわかる整備状況です。このほか、山中の随所で石積みは見られますが、形状からして石垣の痕跡というより後世になって詰まれたものと見るべきなのでしょうか。

(2019年10月10日 初掲)

















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