戦国山城の復元。
荒砥城
所在地
別名
長野県千曲市大字上山田
:新砥城
築城者
築城年
:山田氏
:16世紀


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■国人領主級の城

 千曲川のほとり、戸倉上山田温泉の後背に控える城山上に築かれた荒砥城は、葛尾城主村上氏の一族・山田氏によって築かれたものだと考えられています。ただし、古い時代のことについては不明な点も多く、この城の存在がクローズアップされてくるのは、武田晴信が埴科郡から善光寺平にかけて押し出してきた時期以降のことになります。
 もっとも、晴信の目はもっぱら葛尾城の村上義清の方を向いており、荒砥城そのものが大きな戦乱の舞台となることはありませんでした。やがて義清は越後へと落ち、城は屋代氏のものとなります。屋代氏は、最初村上氏に仕え、晴信の信濃掌握後はこれに従い、武田氏の滅亡後は織田信長に臣従し、信長の死後は上杉氏、徳川氏と、時々の実力者の間を渡り歩いた一族でしたが、上杉氏と徳川氏の板挟みとなった天正11年(1583)に荒砥城を攻められ、落城。その後は徳川氏を頼って落ち延びることになりました。城はこの時をもって廃城になったと考えられています。

■復興山城

 荒砥城址は城山史跡公園として整備されています。戦国山城の雰囲気を良く出してはいるものの、発掘調査や文献資料に基づいた精緻な復元ではなく、平均的な山城の構造を模擬的に造り出したものといったところでしょうか。さまざまに主を変えた屋代氏も、武田氏麾下の期間は30年程と長かったのですが、武田色の出ていない復元荒砥城です。
 ただ、戦国山城の復元・復興自体が、全国的に数も限られており、コンクリート製の復興天守などに比べれば、観光名所としても新味があると言うものなのかもしれません。城跡は大河ドラマ「風林火山」のロケ地としても使われており、再現された館の中には、撮影時の様子を展示した場所もあります。総じて、史跡と言うよりは観光地としての性格が色濃く表れた城跡です。
 ちなみに、小規模ながら有料公園です。
 歴史的な価値はともかく、ビジュアル面での訴求力が強いスポットではあります。

(2010年02月19日 初掲)

















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