前田利家生誕の城。
荒子城
所在地
別名
愛知県名古屋市中川区荒子4丁目
:なし
築城者
築城年
:前田利昌
:天文年間(1532〜1555)


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■前田利家生誕地

 大河ドラマの主役を張ったことで注目されるようになった前田利家生誕の地であり、利家の父・利昌が築き、兄・利久、利家、長男・利長と受け継がれていった城です。1575年に前田氏一門が越前へ転封となり、それに伴って廃城されています。前田氏の本拠地については異説もあり、同じ名古屋市内でも荒子城よりさらに西にあった前田城を本拠にしていたというものもあります。
 現在は薄暗い天神社(冨士大権現天満天神宮)の森の中に、「前田利家卿誕生之遺址」の碑が建っているだけで、特に目立った遺構は残っていません。後に加賀藩主となった利家を輩出した城でなければ、ここに城があったという事実さえ忘れ去られてしまいそうです。
 大河では山の中の城のように映っていましたが、これでもかというくらい平地の城です。
 

■前田氏と天神社

 荒子城址は、天神社となっています。それもそのはず、前田氏の先祖は、公には菅原氏となっています。天神様=菅原道真で有名なあの菅原氏です。
 戦国時代、下克上により、実力で大名の地位を確保した大名達は、こぞって自分達の出自を飾ることをしました。自分は名家の末裔であるということをアピールし、戦略に役立てようとしました。源氏系の武田氏、上杉氏、藤原氏系の伊達氏など、守護大名から戦国大名にスライドしていった大名達は、出自を偽るまでもない名門の出身でしたが、『成り上がり組』は、やはり武家の頭領であった源氏姓や平氏姓を好んで名乗りました。
 利家の主君・信長は恒武平氏を名乗りましたし、徳川家康は新田氏系源氏を名乗りました。出世があまりに早すぎたため、出自の偽りようがなかった秀吉は、朝廷から源平藤橘に次ぐ新たな姓として豊臣姓を下賜されています。そんな中で、菅原氏系を名乗った前田氏は、若干変り種といえば言えるのかもしれません。しかし、口先ばかりではなく、天神社を建てることで菅原氏の後裔であることをアピールしようとするあたり、芸が細かいと思います。前田氏は、家紋も梅鉢紋です。
 ちなみに、同じ名古屋市の出身で秀吉に取り立てられて大名になった加藤清正は、名古屋城築城の際に、父母の菩提を弔う目的で生家跡に妙行寺を建立していますが、彼の場合は出自を粉飾しようという意図はあまり無かった様子。忠義の人・清正の場合、「秀吉あっての自分」という思いが強かったため、低い身分だった時代のことを敢えて記念したのかもしれません。
 

■尾張四観音の一、荒子観音

 近くには前田氏ゆかりの荒子観音があります。尾張四観音の一つだそうで、境内には名古屋市内で最も古い木造建築だという多宝塔、歴史的価値はなさそうですが新しく立派な本堂などが建っており、多くの信仰を集めている事が伺われます。
 一般には荒子城より荒子観音の方が有名なようで、結構目立つ案内看板もありましたし、近くにあるバス停の名前も「荒子観音」となっていました。対する荒子城址はすごく地味です。しかし、荒子観音までたどり着ければ、付近の道路には「犬千代ルート」のパネルが設置されているので、順路は非常に分かりやすくなっています。遠来の場合、まずは荒子観音を目指すと良いでしょう。
 このあたりは古い住宅地らしく、細く入り組んだ路地ばかりですが、分岐点毎に利家ゆかりの史跡へ向かうための進行方向を指し示した矢印が書いてあるので、迷うことはまずないと思います。

(2008年03月01日 初掲)















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