筑前の小京都に残る城跡。
秋月城
所在地
別名
福岡県朝倉市秋月野鳥
:秋月陣屋
築城者
築城年
:黒田長興
:元和10年/寛永元年(1624)


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■小京都・秋月

 筑前秋月の城下町は、日本各地に存在する小京都の一つとして知られ、現在でも近傍では有数の観光地となっていますが、その中でも杉の馬場は桜の名所として知られます。もともとはその名のとおり杉木立の道だったのが、明治になってから桜の植樹が始まり、現在知れられるような桜並木の道となったものなのだそうです。
 この道路はかつての秋月城の目の前をまっすぐに伸びており、道沿いに歩いていくと、現存遺構の一つである長屋門の前を通過ぎ、さらに進むと旧大手門に当たる黒門の前に行き着きます。この門は、秋月城の後背にあった古処山城の搦手門を移築したものだと言われ、秋月城址の中でも一段と古い歴史を持つ遺構です。なお、古処山城は古処山の山頂付近に築かれた山城です。一応登ってはみたものの、一時間半以上をかけて登り詰めた山頂付近には、特に城跡らしい雰囲気も無く、九州自然歩道の一部と言うこともあって軽登山のような道行きとなりました。なお、山頂からの展望は絶品です。
 ともあれ、秋月城址は、規模こそ小さいものの九州の小京都の顔として、味わい深いたたずまいを残しています。

■古処山城の居館から小藩の政庁へ

 秋月氏の祖に当たる大蔵氏は、藤原純友の乱鎮定の功により、筑前地方に所領を与えられました。平安時代末から鎌倉時代初頭にかけて紆余曲折を経た後に、古処山に前述の古処山城を築き、山麓に居館を構え、秋月氏を名乗るようになりました。一般に中世秋月氏の本拠地は古処山城であるとされることが多いのですが、全国でも有数といわれる高所に築かれたこの城は典型的な詰め城でした。麓の館の方が平静の執政所であり、さしずめ秋月城の前身に当たるものと言えるでしょう。
 戦国時代の秋月氏は、大内氏や大友氏など、時々の北九州の支配者に従属し、雌伏の時期を過ごすことになりますが、三国鼎立の様相を見せ始めていた九州において島津氏が優越してくると、これに同調し、大きく勢力を伸ばすことに成功しました。もっとも、秋月氏最盛期の後ろ盾となった島津氏が豊臣秀吉によって征伐された際には、当然秋月氏も秀吉に抗し得ず、戦後は日向へ移封となりました。この時期、古処山城は廃城となり、麓の居館も打ち捨てられることになります。
 江戸時代に入り黒田氏が福岡城を築いて筑前国の多くを支配するようになると、それに続く元和9年(1623年)には福岡藩の支藩として秋月藩が立藩し、古処山城の旧館を再整備する形で、秋月城が完成しました。秋月城が秋月陣屋の別名で呼ばれることもあるのは、表高五万石の小藩の政庁と言う位置づけであったことによります。
 秋月藩は本藩ともども江戸時代を通じて存続し、秋月城は明治に入ってから廃城となりました。

(2010年08月01日 初掲)























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