阿波国内最大規模の山城。
阿波一宮城
所在地
別名
徳島県徳島市一宮町
:なし
築城者
築城年
:小笠原長宗
:延元3年(南)/建武5年(北)/暦応元年(北)(1338)


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■国人領主小笠原氏

 個人的には、徳島県内において良好に遺構が保たれている城跡はそんなに多くない印象があるのですが、そうした中にあって、一頭地を抜く格を与えたくなる山城が一宮城です。
 一宮城の歴史は、阿波守護小笠原氏がこの地の豪族であった一宮氏を滅ぼした後、同地の押さえとして築いたことに始まります。小笠原氏は、後に阿波への影響力を強めた細川氏、そしてそれに代わった三好氏や長宗我部氏の間を転々としながらも、その凡その期間にわたって一宮城の支配を保ちました。最後はその向背常なき姿勢が祟ってか、長宗我部元親により滅ぼされますが、長宗我部氏の四国支配も長くは続かず、阿波は羽柴秀吉の股肱である蜂須賀氏に与えられました。その際、一宮城も蜂須賀氏が支配するところとなりました。蜂須賀氏自身の居城が徳島城と定められた後も、一宮城は阿波国内の重要拠点に位置づけられていたようですが、一国一条令を受けてその役割を終えることになりました。

■石垣のある山城

 城は、東竜王山と呼ばれる山の支尾根上の、鮎喰川を見下ろす一ピークに築かれていました。八十八箇所霊場の一つである大日寺や、その名が示すとおり一宮神社の至近に位置しています。ちなみに、阿波一宮に比定される神社については諸説があり、この一宮神社が歴史的に正統と言えるかどうかについては論争があるようです。
 現在は、徳島市郊外の里山といった雰囲気に整備されていて、山頂までの道は登山道然としています。さほど高度のある山ではないので、ハイキングレベルの山でしょう。その山頂付近には、いくつかの曲輪跡や、落ち葉などが堆積して不明瞭となりつつある竪堀、そして野面積みの石垣を備える主郭があります。総じて土木工事の規模の大きさを感じさせ、少なくとも一国人領主の城という印象ではありません。使用された期間こそ短かったものの、長宗我部氏や蜂須賀氏の時代に大々的に手を入れられたものと推定されています。

(2014年04月29日 初掲)

















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